北欧諸国の福祉国家は,個人の属性や所得に関係なく給付を行うから,「普遍主義的」だと言われる.本書によると,個人利益に直結するような,一見すると普遍主義的とみなされうる施策を「維新」は打ち出し,それを人々は支持している.政治学者は確かに,選挙結果や世論調査を分析したり,政治活動の観察を踏まえて,維新が支持を集めている理由を説明してきた.しかし本書が優れていると思ったのは,その支持がどういう矛盾を孕んでいるかということまで明らかにしているということである.一言で言えばそれは,共同的生活基盤を蝕んでいくような性格を持つ,私利追求の肯定の上に完全に立った支持だということである.その支持は所得階層とはさしあたっては関係ない.そして財政分析から明らかになるのは,弱者・マイノリティ向けの支出を削減しながら,大多数の人々が恩恵を明らかに感じられる支出を増大させるというやり方で,支持を確かに拡大してきたということである.
支持獲得に関する論点は,政治学者らの分析(=「なぜ支持するのか?」)の延長線上にあるように感じる.しかし,それを「財政ポピュリズム」と概念化して,その中に胚胎する矛盾を読み取っている点が本書の非凡なところだと思う.北欧風の「普遍主義」という文脈に大阪の現象を位置づけて論じる視点にも(いい意味で)驚かされた.「目に見える利益が個人に返ってくるからこそ税金を払うのだ」という教訓を北欧モデルから引き出す議論はよく目にするが,そうした安易な普遍主義=北欧モデル礼賛は駄目だということが,「維新」現象から読み取るべき教訓なのだろう.というのは,個人にとって明らかな受益ばかりを追求する政策を生み出しかねないからである.下水道などのインフラ修繕,保健所の拡充,学校の事務職員の充実,養護学校の充実,公共交通の拡充,図書館・美術館などの文化施設の充実など,目に見えにくいが人々の生活にとって重要な共同的生活手段の拡充を打ち出すのは,重要なことのはずだが,それらはともすれば目の敵にされかねないということは,言うまでもない.