現在ほど,多様性が重視されている時代はないだろう.「三人寄れば文殊の知恵」と言われるが,複雑系として社会システムを分析するスコット・ペイジは,ごく単純な数理モデルを用いて,多様な視角を持った人々が合議することによって,より優れた問題解決が可能になるということを説得的に示した.丸山眞男『日本の思想』は,「であること」と「すること」という有名な区別を提示し,身分や社会階層(=「であること」)によって社会が組織される時代から,具体的な思考や判断,行動によって社会が組織される時代に転換するのが近代であると論じたが,この区別を援用すると,ペイジが重視する多様性は,「であること」の多様性ではなく,「すること」の多様性の方である.現実にはこれら2つの多様性は区別されずに用いられることが多いし,具体的な施策としても,着手しやすい「であること」の多様性の方が対象とされるのが普通である.前者の多様性が重要であることは言うまでもないし,現実には2つの多様性を区別することは必ずしも容易ではないだろう.しかし,ペイジの示唆にしたがって「すること」の多様性に関心を集中してみると,現代の日本社会は,以下のような対照的な様相を有していることに気づく.
第1に,「すること」の多様性は,思考や判断の食い違いを前提とするから,多様性から利益を得ようとすると,協議や対話が不可欠となる.しかし,こうした協議や対話を回避した意思決定をする場面が目立つようになっている.その典型例は政策にかかわる意思決定である.例えば,原発再稼働方針や,安保政策の大転換がニュースになったのは,2022年末のことであった.これらの政策に対する有力な批判の一つは,反対意見を述べそうな利害関係者が,協議の場からほぼ排除されていたということである.これら以外でも,国会での審議を経ずに,閣議決定のみによって政策転換が決定された例はありふれたものとなっていることは,周知のとおりである.これは必ずしも日本だけの問題ではなく,多くの国で経験されている現実だと思われる.例えば欧州では,「民主主義の赤字」という言葉が通用するようになって久しい.
第2に,上のような中央政府での動きとは対照的であるが,大変興味深いのは,研究や開発,地域再興など,様々な現場レベルでは,ますます異質な主体との「共創」「協働」が強調・実践されるようになっているということである.こうした動きは,単一の組織が有する知見・能力だけでは対応できないくらい問題が複雑になっているということもあろうし,問題解決のための資源を単一の組織が拠出できなくなっているということもあるだろう.いずれにせよ,半ば自発的に,半ば強いられる形で,協働が広がっているというのが現実だと思われる.しかも,地縁に基づく共同体は解体が進んでいるため,規範・価値観を共有した者が協働関係を作るのとは異なり,新しく出会った者どうしが新たに協働関係を作らなくてはならないことが普通になっているだろう.
新たに出会った,価値観や視角,利害を異にした者が協議・対話することで,新しい協働関係を作っていく.それが難しいのは,そこに葛藤や矛盾,対立を含んでいるためであることは言うまでもない.そこには当然,異なる見解に対する「批判」という要素がはらまれざるをえない.よく知られるように,カール・ポパーは,誤りを排除するメカニズムとして批判を重視したが,「批判ではなく提案を」という言葉が示唆するように,批判は近年特に忌み嫌われる運命にあるかのようである.かく言う筆者もその例外ではないことを認めざるをえない.素早い意思決定が求められる場面は増えているので,協議・対話が望ましくても,それを早々に打ち切らざるを得ない場面も多いだろう.
では,そもそも協議・対話とはおしゃべりやディベートとどう違うのだろうか?なぜ協議・対話が重要なのか?そこに含まれる葛藤や矛盾,対立をどのように乗り越えることができるのか?どのように新しい考え方が生み出されるのか?そうした問いを考えるための手がかりを,これまでの学問の中に求めることはできないだろうか?また,諸々の現場での実践からは,どのような教訓・知恵を得ることが可能だろうか?多くの人が直面し,なおかつ,多くの社会問題を解くための鍵の一つだと考えられる,協議・対話にまつわる問題を捉えなおすためのよすがになることを目指して,この特集を編むことにした.
『Trans/Actions』第8号 「特集:葛藤・矛盾・対立との向き合い方」巻頭言より