ベーシックインカムの射程:フィンランドの社会実験を素材に (2)

2. フィンランドの社会経済的背景

 ベーシックインカムがフィンランドのいかなる社会経済的背景の中で議論され、社会実験が構想されているのかを確認しておこう。

 まず経済成長率を見ておくと、GDP成長率(2009-2016年平均)は、米国3.0%、スウェーデン3.0%、デンマーク2.9%、EU平均2.6%、日本2.2%に対し、フィンランド1.5%となっている(OECD National Accounts at at Glance 2017より筆者計算)。また人口増減の影響を除くため、人口一人当たりGDP成長率(2009-2016年平均)を見ると、デンマーク2.4%、日本2.3%、EU平均2.3%、米国2.2%、スウェーデン2.1%に対し、フィンランド1.1%となっている(OECD Employment Outlook 2017より筆者計算)。いずれの指標で見ても、直近のフィンランドが低成長にあえいでいることがわかる。経済危機後の2009年における人口一人当たりGDP成長率を比較すると、米国-3.6%、日本-5.5%、スウェーデン-6.0%に対してフィンランドは-8.7%であり、落ち込みが相対的に大きかったことがわかる。経済危機を契機に急進展した情報通信産業のリストラが、その後の低成長の一要因になっていることは言うまでもない。

 次いで25-54歳の失業率は(2016年)、フィンランド7.4%、スウェーデン5.5%、デンマーク5.5%、米国4.2%、日本3.1%となっており、フィンランドの高さが際立っている(OECD Employment Outlook 2017より筆者計算)。データは示さないが、北欧諸国に比べてフィンランドの失業率が高い状態は一貫して持続してきた。その意味では、フィンランドは高失業率が構造化した経済だということができる。

 以上より、現在のフィンランドが低成長率・高失業率にあえぐ国であることがわかる。すなわち、ベーシックインカムに関する議論がしばしば想定する、ロボット化などに起因する長期的な雇用喪失以前に、経済停滞に起因する高失業という状況下で、どちらかと言えば短期的な視野からベーシックインカムが議論されているというのがフィンランドの現状であることを予め強調しておきたい。

 低成長の中で財政規模が拡大していることもまた事実である。図1は、デンマーク、フィンランド、日本、スウェーデン、米国における政府支出の対GDPについて、2007年を100とした時の値の推移を示す。容易にわかるように、経済危機直後の2009年には、スウェーデン以外の各国は財政規模を急拡大させて経済対策を実施したことがわかる。しかし、米国、ついでデンマーク、日本も徐々にではあるが財政規模を縮小させているが、フィンランドは他国に比べて財政規模が高止まりしていることがわかる。その結果、2015年の政府累積債務はGDPの74.9%にのぼっている。これはフランス(120.3%)、英国(112.6%)、ドイツ(74.9%)など、欧州の大国に比べると低水準であるものの、スウェーデン(61.8%)、デンマーク(54.2%)を上回る水準である。また、2015年の財政赤字の対GDP比は2.3%であり、デンマーク(1.6%)、ドイツ(0.9%)、スウェーデン(0.5%)を上回っている(以上、OECD Government at a Glance 2017より筆者計算)。フィンランドはユーロ導入国であるから、規則上は、欧州連合の「安定・成長協定」にしたがって財政規律を順守する必要がある。したがって、累積債務と財政赤字の現状も考え合わせると、緊縮財政路線に転換せざるを得ない度合いが北欧諸国の中でも最も大きいと言える。

図1: 財政赤字の対GDP比(2007年=100)

(出所:OECD National Accounts at a Glance 2017より筆者計算)

 その結果、中道右派連立政権であるシピラ内閣が2015年5月に発表した方針では、2015年度から2019年度の4年間で、中央政府支出を12億ユーロ減額する計画である。2020年度までの財政支出削減計画の主な内訳を示したのが表1である。「社会的給付」「社会・保健サービス」といった社会保障関連の支出が最も影響を受けるほか、「教育・科学・文化」という研究開発関連の支出も大きな影響を受けることがわかる。このように、ベーシックインカムは、財政支出削減圧力の下で計画されているという事実もまた、強調されなくてはならないだろう。

表1:2020年度までの財政支出削減計画の主な内訳(単位:億ユーロ)

(注)2016年度から5年間での支出削減計画額を表す

(出所)Finland, a land of solutions: Strategic programme of Prime Minister Sipilä's Government (29 May 2015) (Government Pulbications 12/2015)より著者作成

 表1に見られるように、フィンランドの強みの一つとされる教育も、財政支出削減の例外ではない。教育への影響の一例を挙げよう。フィンランド議会は2015年12月に、EU圏外出身の学生に対して、年間最低1,500ユーロの学費を課すことを可決した (1)。それを受けてヘルシンキ大学では、EU圏外出身学生に対して、年間10,000-25,000ユーロの学費を課すと発表した 。学費を課す動きがEU圏出身学生、ひいてはフィンランド出身学生にも広がることが懸念されている (2)。こうした財政支出削減の中で、主要大学であるアールト大学とヘルシンキ大学では、合計1,300人の教職員を削減することを発表している(以上、Academics fear tuition fees for Finnish, EU university students, Yle 2016/2/1)。他大学でも、開講講義数を削減したり、講義の学生定員を増やすことで、合理化を図るようになっている(Universities consolidate lower degree programmes, Helsinki to lose two-thirds of study options, Yle 2016/2/8)。

 社会保障に関係した支出である社会的支出(social expenditure) の総額と構成に目を転じよう (3)。在宅ケアなどのように現物サービスの形態で給付されるものを「現物給付」と呼び、また、年金や諸手当のように現金形態で給付されるものを「現金給付」と呼ぶ。現金給付が現物給付の何倍に当たるかを見てみると、スウェーデン0.86、デンマーク1.03に対して、フィンランドは1.62である。つまり他の北欧諸国に比べると、フィンランドは現金給付に著しく傾斜した特徴を持つ国であることがわかる。もちろん、社会的支出の対GDP比で言えば、フィンランド28.5%(3)、デンマーク27.2%(5)、スウェーデン26.0%(7)となっており(以上、OECD Society at a Glance 2016より筆者計算:カッコ内はOECD諸国内での順位)、他の北欧諸国と同等に福祉国家の実態を保っていることは事実である。しかし、以上のことは、他の北欧諸国とは異なり、フィンランドが現金給付に傾斜した福祉国家であることを示している。

 したがって、フィンランドでは他国に比べて現金給付部分に社会保障改革の努力が向かいやすいことは想像に難くない。現金給付の中でも政府がとりわけ問題視しているのは、毎年17億ユーロにものぼる住宅手当である。国民年金機構Kela (4)の総裁であったLiisa Hyssälä(当時)は、住宅手当をはじめとする諸手当の支給が急増していることを問題視している(Kela director: Finland’s system of social benefit is unsustainable, Yle 2016.8.10)。先回りして述べておくと、現金給付による最低所得保障に他ならないベーシックインカム構想は、こうした緊縮財政下の現金給付改革の一環としても提案されていることを強調しておく必要があるだろう。

 

 (1) 現実にヘルシンキ大学の場合、EU圏外学生の学費は13,000-18,000ユーロに設定され、その結果、2017年9月におけるEU圏外出身の入学者数が50%減少した。他大学においても、最低でも8,000ユーロの学費が設定されるに至っている(Lukukausimaksuista raju pudotus: Aloittaneiden määrä väheni yli puolella Helsingin yliopistossa, Iltasanomat 2017/10/6)。

 (2) 実際に、雇用者団体がサポートする非営利研究機関であるフィンランド経済研究所ETLAは、フィンランドおよびEU圏出身学生からも学費を徴収すべきとする提案を行ったが、政府与党はその提案を拒否している(Minister of Education rejects proposal on tuition fees, Helsinki Times 2017/4/3)。

 (3) OECDは、社会的支出は「高齢、遺族、障害・業務災害・傷病給付、医療、家族、積極的労働市場政策、失業、住宅、その他の社会政策分野」への支出からなると定義している。この定義には教育が含まれていないことに留意する必要があるが、社会保障の対象をおおよそ含んでいるものとみてよいだろう。

 (4) 訳語の選択に当たっては、同機構を中心に据えてフィンランドが北欧型福祉国家を形成してゆく過程を分析・考察した柴山(2017)を参考にした。この訳語がフィンランド語による組織名称を的確に反映していると、筆者も考える。