(以下は,『Trans/Actions』誌(名古屋工業大学産業文化研究会・2017/12)向けに書いたノートです.お気づきの点がありましたら,お知らせいただければ幸いです.)
フィンランドにおけるベーシックインカム社会実験:
ベーシックインカムの射程に関する予備的考察
徳丸 宜穂(名古屋工業大学)
1. はじめに
最低限度の生活を保障するために、市民に対して区別することなく現金給付を行うという社会構想である「ベーシックインカム」への関心は、世界的に高まっている。これまでは特に貧困対策として論じられるのが普通だったが、昨今では、人工知能の発展により見込まれる雇用喪失に対する、実効的な対応策としても盛んに論じられるようになった(Bregman, 2016)。フィンランドでは、世界で初めて一国レベルで行われるベーシックインカム社会実験が、2017年1月に開始された。こうした背景があって、ベーシックインカムに関する議論は日本でも盛んになってきており、社会保障手段としての利点・欠点や、適当な金額と財源、またそもそもの実現可能性などについて、盛んに論じられるようになってきている。
フィンランドでの社会実験は始まったばかりであるが、その社会実験の設計についてはむろん、ベーシックインカム構想自体についても、フィンランド国内では様々な議論がなされてきている。フィンランドでの議論の内容を検討し、また社会実験が行われる社会経済的背景を明らかにすることによって、所得格差拡大や少子高齢化、ロボット化の影響、新興国のキャッチアップなどによって必須となっている先進国の社会経済再編に対して、ベーシックインカムという構想が持つ意味の一端を明らかにすることが、本稿の目的である。その意味で本稿は、フィンランドの特殊なコンテキストを明確にし、その中にベーシックインカムという一般的な構想を位置づけなおしてみることによって、先進諸国がベーシックインカムを導入する場合に逢着すると考えられる問題をあらかじめ析出する試みに他ならない (1)。まず第2節では、ベーシックインカム社会実験が構想されに至った、フィンランドの社会経済的背景について述べる。次に第3節では、フィンランドで行われているベーシックインカム構想に関する議論を整理し、第4節では現在実施されている社会実験の概要を述べる。第5節では、以上の検討から引き出される、社会構想としてのベーシックインカムが、先進諸国の社会経済の再編に対して持ちうる含意について述べる。
注
(1) 本稿は、北欧経済論の観点から、フィンランドという特定のコンテキストの中で分析・考察を行う、限定的なベーシックインカム論に過ぎないことをお断りしておきたい。ベーシックインカムという主題は、その背後にある社会哲学・経済哲学に関する議論から、社会政策論、さらにその制度設計・実現可能性・実効性を検討する経済分析に至るまで、極めて広範な議論を含んでいるが、その全体像を展望する能力は筆者にはない。ベーシックインカム論それ自体に関心がある読者には、例えば、日本における第一人者である山森亮氏(同志社大学)の一連の論考、あるいは現段階の議論を広範に検討したVan Parijs and Vanderborght (2017)を参照されることを強くお薦めしたい。