ピケティの Capital in the 21st Century (1)

年末に,大学時代の友人たちと忘年会で会った時に,ピケティの話になった.英訳版も日本語版も手には入れていたが,読めていなかった.忘年会をきっかけに,空いた時間に読んで検討してみようと思いたった.スローな頻度になると思うが,読書ノートをここに上げていこうと思う.まずは序章から・・・


(Introduction)

・富の分配は,最重要問題の一つだが,長期的なその変化をどうやって知りうるだろうか?マルクスが考えたように,民間の手による資本蓄積は不可避的に,富の集中をもたらすのか?あるいはクズネッツが論じたように,経済発展の後期に至れば,経済成長や競争,技術進歩の諸力のお陰で不平等は低減するのか?18世紀以降の歴史から何を学ぶことができるのか?今日の状況に対する教訓はなにか?本書はこれらの問いに答えようと試みるものである.
・近代経済成長と知識の普及によって,マルクス的な終末を避け得たが,資本と不平等の深層構造は変わっていない.資本収益率が成長率を上回るという状況は,19世紀や現在に見られるが,その下では資本主義は自動的に,不平等を生み出す.それは民主主義社会が基盤として持っている能力主義的な価値を掘り崩す.だが,民主主義はこの状況をコントロールする方法を持つはずである.
・所得と富の分配の議論は,体系的・組織的になされる必要がある.それによって経済学などを厳密科学に転換するという意味ではない.事実とパタンを我慢強く探し,それを説明するメカニズムを淡々と分析することで,民主的な討論に情報を与え,正しい問いに焦点を当てさせることが,社会科学の役割である.私見では,勉強の時間が多く与えられているという特権を持つ知識人の役割はここにある.
・リカードの格差論は,地主に焦点があって,その格差メカニズムは土地の希少性に基づく.言うまでもなくマルクスは資本蓄積の運動にそれを求めた.現実に,19世紀は格差拡大の時代であった.資本は繁栄し,労働所得は停滞した.
・クズネッツは,データを準備した点が偉大.しかし,20世紀中葉の所得格差の縮小を,一般的な法則だと見なして理論化する道に.ソローのモデルも同様の意味.
・1970年代以降,格差が拡大した.だから,所得格差の問題を経済分析の中枢に据えるべきである.
・本書の結論の第1は,格差拡大は経済決定論で論じることはできないということ.例えば,1910-50の所得格差縮小は,戦争とそれにかかわる政策の影響.1980年代以降の格差拡大も,政策の影響.第2の結論はより本質的.つまり,富の分配を平等化・不平等化するメカニズムが存在すると言うこと.特に,経済成長が停滞し,資本収益率が高い場合.r>gということ.
・(ピケティ自身は)米国で22歳の時に大学に雇われた.だがフランスに帰りたかった.米国では経済学者が現実問題に取り組んでいなかった.フランスでは経済学者は尊敬されていない.経済学者は歴史学者などの同僚,また一般の人を説得することに関心を持っている.

(コメント)
*政治経済学者としてのありかたにかんするコメントは,知識人の生き方として大変示唆的だ.現実の問題に解を出そうとすること,それをできるだけ厳密に労を厭わずに行おうとすること,経済学者以外の人々を説得しようと努めるべきこと.
Dumenil and Levy(2013) The Crisis of Neoloberalismは,新自由主義を,黄金時代に低収益に据え置かれた資産所有者の反乱だと解釈した.また,豊かになった労働者が資産形成し,それが金融化に道を開いたという側面もあると思う.要するに,資産管理の社会的体制が作られていないと言うことに問題があると感じる.そこには,Tobin taxなどの役割があるのだろうし,ケインズの「投資の社会化」論が意味を持つのではないか?
*図2の方は,K/Yの上昇を示している.利潤率R/K=Y/K*R/Yである.利潤率低下を避けるためには,R/Yすなわち資本分配率が上昇しなくてはならない.これは恐らく,1980年代以降,労働規制緩和などによって実現したと思われる.ピケティは,K/Yの増大自体が問題の根源であるように論じている.しかしそれは正確ではない.K/Yの上昇が所得不平等をもたらす自動メカニズムは存在しないと思われる.問題は,R/Yを上昇させるような政策・制度変化であろう.
*さらに,g=srというケンブリッジ方程式との関係も問題だ.要検討課題. これはまた後に.